野坂昭如の描いた原作小説ってアニメにはないエピソードなども描かれて感動するのかな?
野坂昭如の「火垂るの墓」原作の小説を読んで見たところ、アニメ映画と異なる点や、アニメには描かれていなかった部分があり、より「火垂るの墓」という作品をより深く理解できたように思います。
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火垂るの墓の原作小説
新潮社 |
火垂るの墓 |
野坂昭如 |
484円⇒70%off |
「火垂るの墓」の原作(野坂昭如著)を読んで予想外だったのは、すごく短い短編小説だったということです。
「火垂るの墓」原作は、実はたったの29ページしかありません!!(もちろん出版社によるかもですが)。
29ページという短編小説のため「火垂るの墓」の原作小説だけでは売られておらず、野坂昭如の他の作品と合わせて1冊の本として出版されています。
「火垂るの墓」の原作小説は以下の点が特徴的でした。
- 文章を作るための句読点のうち、丸が少なくて、一文がかなり長い
- 長い一文の中ですごく細かく描写されていてる
「火垂るの墓」原作小説に興味あるけど、長そうで無理!!と思っている方。ご心配なく。たったの29ページしかありませんのですぐに読めてしまいますよ。
アニメと原作との違い
「火垂るの墓」のアニメと原作小説との違いをまとめました。原作小説のネタバレがあります。
清太が亡くなるシーンの描写がリアル
アニメ映画「火垂るの墓」では、「昭和20年9月21日夜、僕は死んだ。」と言って清太がカメラ目線で過去を回想するシーンで始まります。
駅員さんが清太の持っていたドロップ缶を庭に投げ捨てたところ、蓋が開き2人の思い出が思い出されるという流れになっています。
しかし原作では、清太が亡くなるシーンはもっとひどいあさまとして描かれています。
節子が亡くなってから、清太は防空壕を出て、おそらく屋根やトイレがあるからでしょうか、駅に住み着くようになります。駅には清太と同じような、両親のいない浮浪者が所々にいて、清太もその一人。
駅では、母親の最後の形見を売ってなんとか食いつなぎ、食べ物が尽きると、生活が成り立っている一般の利用客から恵んでもらったわずかな食事でなんとか生き延びていました。
そして気が付けばトイレに立つこともできなくなり、栄養失調で亡くなっていったのです。
アニメ映画は、身寄りのない子供たちの戦時下での亡くなり方の悲惨さを訴える作品ではないからでしょう。
アニメでは、清太が亡くなるシーンはどちらかというと、節子との思いを胸に栄養失調でなくなるというかたちに描かれています。
しかしそれが戦争の現実でした。
アニメには描かれていない清太が亡くなるシーンを原作で読んでみましょう。
西宮のおばさんは血縁関係がない遠い親戚
西宮のおばさんは、清太や節子につらくあたるちょっと意地悪なおばさんとして描かれています。
ただ西宮のおばさんはアニメより原作の方がもう少し2人につらく当たっていたようです。
清太や節子につらく当たる理由は、以下2つのことがあるようです。
- 清太と節子は、住んでいる地域が近かっただけで、血縁関係になくかなり遠い親戚。
- 清太の父親は海軍のお偉いさんで裕福のため面白くない気持ちがある
おばさんは、「父のいとこの嫁の実家」と原作には書かれており、おばさんからみれば清太は娘の夫のいとこの息子であり、なんとも遠い存在です。
そのため、ただでさえ生活が苦しいのに、そりゃ母親に死なれたからと言って食い扶持が2人も増えるのは精神的にも大きな負担だったのだと思います。
また清太のお父さんは単なる出兵者ではなく海軍大尉のお偉いさん。
大尉とは士官の中のランクでも上位の方であり、上から順に、大将、中将、少将、大佐、中佐、少佐、大尉、中尉、少尉となっています。
アニメの中でも描かれている通り、海軍大尉を父親に持つ清太の家庭は、一般家庭よりかなり裕福であったのです。
そのため、おばさんは、生活が苦しい時代というのもあって、美味しいものが割と自由に食べられる清太の家庭に対して、不公平感を感じていたのは仕方のないことでしょう。
またアニメ映画でも、清太は焼かれてしまった家の中にいざというときように埋めてあった着物や食材を取りに行って西宮のおばさんのところにあげますが、原作ではおばさんは、掘り起こした着物や食材をかなり自分の家で消費していたようです。
ただこれも、生活が苦しく、海軍大尉の家は豊かであるという不公平感からするとやむ負えない心理かなと思います。代わりにおばさんは清太と節子を海軍大尉の父親が戻るまで面倒を見ないといけないからです。
母親が亡くなってから清太が亡くなるまでは4か月未満
アニメでは、清太の母親が空襲により亡くなり、西宮のおばさんの家を出て防空壕で暮らし、海軍大尉の父親が所属するは連合艦が壊滅し、節子が栄養失調で衰弱死、清太が駅で節子と同じく栄養失調により衰弱死するまでの期間がどれくらいだったのかハッキリは描かれていません。
節子が亡くなってから、清太が亡くなるまでは数年などの長い期間ではないようで1年くらいなのかなと思っていました。
「火垂るの墓」原作を読むと、空襲で母親が亡くなり、清太が亡くなるまでの日付が以下の通りに書かれており、母親が空襲で亡くなってから清太が亡くなるまではたったの4か月未満だったことが分かります。
昭和20年(1945年)
6月5日 | 神戸大空襲 |
6月7日 | 母親を荼毘にふす |
7月6日 | 赤石空襲 |
8月14日 | 終戦日 |
8月22日 | 節子が死ぬ |
9月21日 | 清太が死ぬ |
昭和20年6月5日に清太らが住む神戸が大空襲に遭い、母親が全身やけどになり死亡。その後母親を荼毘にふし、西宮のおばさんのところに身を寄せます。
焼かれた家に埋めてあった着物や食べ物を持って西宮のおばさんのところに渡しますが、ほぼ没収され不満を募らせ、また血のつながらない親せきということからも冷たくあしらわれる生活。
その後、7月6日の赤石空襲のさい清太は家出を決意。西宮のおばさんのところに住んでいたのはたったの1カ月となります。
その後、防空壕に節子と2人で住み始めますが、母親の着物も底をつき、隣組に入っていないので配給もなく、食事は大豆入り雑炊になっていきました。
母親が生きていた時は、海軍の父をもつということもあり当時は一般では手に入らなかったバター、チョコレート、果物、砂糖やようかんが手に入る生活をほんの数か月前まではしていたのです。
節子は栄養不足から衰え始め、清太は夜な夜な農家を襲ったり、8月には、空襲ごとに夜盗に入り着物や食事をあさったりました。
お金をおろしに行った銀行で、清太は日本が敗戦、父親が乗る連合艦隊も壊滅、父親も恐らく亡くなったことを知ります。
いつか日本が勝ち父親が迎えに来てくれることを励みに節子と生きてきた清太でしたが、8月22日には節子が栄養失調で死亡。
1ヵ月後の9月21日には清太も駅で同じく栄養失調で亡くなります。
節子が亡くなってから清太が1ッカ月しか持たなかったころから、節子が亡くなる頃にはすでに食事はとうの限界に来ていたことが分かります。
まとめ
「火垂るの墓」原作小説ではアニメ映画に描かれなかったのは以下の3点です。
- 清太が亡くなるシーンの描写がリアル
- 西宮のおばさんは血縁関係がない遠い親戚
- 母親が亡くなってから清太が亡くなるまでは4か月未満
アニメでは、清太が節子との思い出を胸に栄養失調で身寄りもなく亡くなっていきます。
原作では、限界まで生き、死に絶えていく姿が描かれていて、戦争の怖さや、やはり子供が、家庭や地域社会から孤立し生きることがいかに不可能であるかを痛感させられます。